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宮古島に慰安婦の碑立つ

2008/09/07 21:26

 


※ 二年前、読谷村に建立された「恨の碑」。引き裂かれる家族を銃で殴りつけようとする日本兵。果たして朝鮮半島での徴用は、このような形で行われたのか?

 

前々から言われていたとおり、沖縄の宮古島に慰安婦の碑が建立されることになった。

 

琉球新報(08年9月7日) 魚拓

 

宮古島市民や日韓の研究者らでつくる「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」は7日、戦時中に朝鮮人慰安婦が宮古に連行された歴史を伝える「日本軍『慰安婦』の祈念碑」を12カ国約600の個人・団体からの賛同を得て同市上野野原に建立する。同会によると同様の祈念碑建立は国内初。建立前日の6日、同市平良で証言会があり、満州へ強制連行された元朝鮮人慰安婦が涙ながらに自身の悲惨な体験を語った。(以下略)
 

という事なのだが、これは2月にも週間新潮の記事になっていた(08.2.14)。当時のメモを引っ張り出してくると、こんな感じの内容だった。

 

●1月11日、宮古島を調査していた挺対協の尹・貞玉(ユン・ジョンオク)ら日韓合同調査団が市長を訪れ、市内の慰安所跡近くに記念碑を建立する計画に理解を求め、市長はこれに賛成の意を示した。
週間新潮の取材によれば、慰安婦の碑を中心に平和 公園を整備して観光地にするという構想もあるという。

●伊志峯市長の言い分 「碑を建てるのは私有地ということで、反対するわけにもいかない」

●土地の提供者の言い分 「・・市長は協力したいと言っていました。建立の費用についても、市からはお金は出せないが個人としてならカンパしたい旨を言ってくれた」

 

昨年の「わしズム」秋号に載った小林よしのりと金城和彦の対談には、「ひめゆりの塔」が有名になり観光地化したことで、周辺に店や碑が乱立したこと、見かねた人が土地を守ろうと大金を寄付したが、地主達は値上がりを期待してなかなか売ろうとしなかった事などが書かれていた。金城和彦氏は、「ひめゆりの塔」を建てた金城和信氏の長男だから、この辺の事情を良く知っているのだろう。「慰安婦の碑」はこの他にも東京、ソウル、沖縄本島にも作る計画だったはず。(週間新潮)慰安婦ツアーの聖地化を期待してるのだとすれば、残念な話だ。(いい過ぎだろうか?)

 

さて、昨日(6日)碑の建立に先立ち韓国人の元慰安婦が現地でスピーチを行った。しかし、実はこの人沖縄となんの関係もない。満州で慰安婦をしていたとか。同じく琉球新報から。

 

韓 国の平安南道元山で生まれた朴さんは16歳の時に強制連行された。当時について「隣町に住む友達の家へ遊びに行く途中で日本の憲兵2人に『こっちに来い』と言われた。そのまま日本人の部屋に何日間か閉じこめられ、列車で中国へ連行された」と説明した。


満州では「着いた日からたくさんの日本人が(慰安所に)並んでいた。私は(性的)経験が無く、苦しくて反抗すると、軍人が私を包丁で刺した。今も傷跡が残る。一般兵も将校も来た」とつらい体験を告白した。

朴さんは1945年に慰安所を飛び出した。「帰るための列車に乗ると妹に似た人がいた。名を呼ぶと、(妹は)びっくりして顔を見た。そこで(妹も)強制的に連れてこられて慰安婦にされたことを知った」。朴さんの父は娘たちが慰安婦にされたことを知って怒りのあまり、4日後に亡くなったという。

 

誘拐したのが憲兵だったり、6年後に脱走した際たまたま同じ列車に妹が乗り合わせていたり、父親が怒りのあまり死んだりと、首を傾げるような箇所もあるけど、これは検証のしようもないのかな?

そして、こちらは共同通信の配信記事魚拓

 

石碑には日本語のほかハングルや中国語など12カ国語で「日本軍による性暴力を受けた一人一人の女性の苦しみを記憶し、二度と戦争のない平和な世界を祈る」などと刻まれた。

 

12ヶ国語で日本軍による性暴力をアピール。それもいいけど、その前にベトナムで何かする事があるような・・・。ちなみに、今回の慰安婦の碑ではないが、2年前に読谷村に建立された「恨之碑」。 「日本軍の性奴隷として踏みにじられた姉たち 軍夫として犠牲になった兄たちに深く頭を垂れる ・・・」という文章が刻まれているとのこと。 



 
 ※ 追記 (9月10日)

 

実はこの「恨之碑」建立を報じるニュース(2年前の琉球新報)の中で、このような解説があった。

 

碑に刻まれている「恨」の文字について平良牧師は「恨は日本語でいう『恨みつらみ、その先にある復讐』ではない。朝鮮語で言う『恨(はん)』は『恨み、つらみ、その先にある報復』が当然であるような仕打ちを受けた者が、その傷を忘れるのでも、水に流すのでも、あたかも無かったかのようにするのでもなく、逆に心の底に深く刻みながらも、それを乗り越え、バネにして、新しい共生の道を築いていこうとする未来志向の思考を表す言葉です」と説明。

 

これについてDamedakoreaさんのブログの中で(トラックバック参照)質問させて頂いたところ、風来坊さんとDamedakoreaさんから、「恨」は文字通り「恨み」のことだと教えて頂いた。

 

未来志向の言葉だと土地の人に説明して、「恨みの碑」を日本の地に建立したとなれば、ちょっと問題ではないのか?

 

 

 

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コメント(4)

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2008/09/08 13:10

Commented by damedakorea さん

こんにちは!

私もこの件を韓国の新聞から取り上げました。
TBさせて頂きます。

もう沖縄は反日の拠点となりつつありますね・・・・
韓国でも逐一、左翼集会等について報道されています。

 
 

2008/09/08 20:34

Commented by Hazama さん

damedakoreaさん こんばんわ。

>もう沖縄は反日の拠点となりつつありますね・・・・
>韓国でも逐一、左翼集会等について報道されています。

沖縄は悲惨な戦争体験がある上に、特徴的な教育を数十年に渡って受けてきているので、こういった運動に侵食されやすい土壌があるのでしょう。

トラックバックありがとうございます。後ほどお邪魔します。

 
 

2008/09/10 20:09

Commented by 相模 さん

>縄は悲惨な戦争体験がある上に・・・

それはそうなんですが、焼夷弾で焼き殺された東京大空襲ほか、全国で悲惨な殺人空襲がありました。
シナや朝鮮からの引揚者も、シナ兵、朝鮮人、ロシア兵によって惨殺されています。沖縄1人だけが日本の身代わりで悲惨な目に遭った訳ではない筈なのに、今では受難者気取りですよね。

仰るとおり左翼の運動に侵食されやすい土壌があるのでしょう。何かで読んだ話ですが、沖縄戦が終わった時、老婆が呟いたそうです。「なんでこんな事になるのだろう、沖縄は日本と関係ないのに・・」と。その感覚がベースに残っているのかも知れません。
今でも沖縄独立論が顔を出す土地柄のようですし。

 
 

2008/09/10 21:42

Commented by Hazama さん

To seelischさん

>焼夷弾で焼き殺された東京大空襲ほか、全国で悲惨な殺人空襲がありました。

私の両親も空襲を体験していますから、仰ることは分かります。両親のどちらかに爆弾が当たっていたら、自分などは生まれていなかったわけです。

>沖縄戦が終わった時、老婆が呟いたそうです。

一方で、沖縄在住のある朝鮮人慰安婦は、鈴木裕子女史(たぶん)が初めて面接した時には、当時のことを「友軍(!)が負けて悔しかった」と語っていたそうです。これは日本政府に謝罪を求めている側が書いていた本の中に出ていたことです。(書名は失念しましたが、岩波ブックレットからの一冊でした)その元慰安婦が、支援団体に巡りあって後には、立派な「闘士」に変わったとのこと。(もしかしたら、もうお亡くなりなったかもしれませんが)沖縄の反日には、戦中に醸成された部分と、戦後に醸成された部分とがあるような気がします。

 
 
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2008/09/08 13:10

宮古島に売春婦の追慕碑建立 [特亜を斬る]

 

沖縄をインチキ売春婦で穢すな! 宮古島に 慰安婦 売春婦追慕碑建立 ソウル新聞・聯合ニュース9月8日 韓国 従軍慰安婦 問題対策協議会は7日第二次世界大戦の激戦地だった日本の沖繩の宮古島で 日本軍慰安婦 追慕碑…